風俗嬢さんからメダイユをいただいた、その日のことを書いてみようと思う。柄にもなく、少し照れくさい気持ちで文章を書いている。こういう出会いの中で、モノを介した「気持ちのやりとり」があるなんて、正直なところ想像もしていなかった。だからこそ、その出来事は僕の中でずっと消えない光のようなものになっている。
きっかけは何気ない会話だった
その日、僕はいつものように予約を入れて、少し早めに待ち合わせ場所に着いていた。緊張していたわけではないけれど、初めて会う人とはやっぱり少し身構えてしまう。案内された部屋で待っていると、扉が開いて彼女が入ってきた。第一印象は、とても物腰の柔らかい人だな、というものだった。声のトーンも落ち着いていて、こちらの緊張をふっとほどいてくれるような雰囲気があった。
会話が始まると、彼女は僕の仕事の話や、休日の過ごし方について興味を持って聞いてくれた。こちらもつい調子に乗って、最近あった小さな出来事や、悩んでいることまで話してしまった。不思議なもので、初めて会った人の方が、かえって本音を話しやすいことがある。利害関係もしがらみもなく、ただその時間だけを共有する関係だからこそ、素直になれるのかもしれない。
彼女は聞き上手で、相槌の打ち方ひとつにも温かさがあった。「それ、大変でしたね」「よく頑張りましたね」という言葉を、決して機械的にではなく、こちらの目を見てちゃんと言ってくれる。そういう小さな積み重ねが、初対面とは思えないほどの安心感を生んでいたのだと思う。
思いがけないプレゼント
時間が終わりに近づき、そろそろ身支度を整えようかという頃、彼女が小さな巾着袋を取り出した。「これ、よかったらもらってください」と差し出されたのは、小さなメダイユだった。銀色の、手のひらに収まるくらいの大きさで、表には聖人らしき人物の姿が刻まれ、裏には小さな十字の模様があった。
正直、最初は何が起きているのか分からなかった。プレゼントをもらえるとは思っていなかったし、ましてやこういう場でお守りのような品をいただくというのは、想像していなかった出来事だった。戸惑いながらも「これは……どうして?」と尋ねると、彼女は少し照れたように笑って、こう言った。
「お客さんの中でも、話していて楽しいなって思う人にだけ渡しているんです。これ、旅行先で買ったものなんですけど、持っているとちょっと安心する気がして。よかったら、お守り代わりに持っていてください」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。仕事として割り切っている関係の中でも、こんなふうに個人的な気持ちを乗せて何かを渡してくれる人がいるのだということに、素直に驚いたし、何より嬉しかった。
メダイユという存在について
メダイユというのは、キリスト教文化圏でよく見られる小さな記章のことで、聖人や聖母マリアの姿が刻まれ、身につける人を見守ってくれるとされている。日本ではあまり馴染みのない言葉かもしれないが、ヨーロッパでは旅のお守りや、大切な人への贈り物として広く親しまれているものだ。
彼女がどうしてそれを持っていたのか、詳しい経緯までは聞かなかった。海外旅行が好きだと話していたので、きっとどこかの教会や土産物店で、ふと目に留まって手に取ったのだろう。そういう「たまたま」の出会いの品が、巡り巡って僕の手元に渡ってきたのだと思うと、なんだか不思議な縁を感じずにはいられない。
家に帰ってから、そのメダイユをあらためてじっくりと眺めてみた。使い込まれたような、少し光沢の落ち着いた質感で、決して高価なものではないのだろうけれど、そこに込められた気持ちの重みは、値段では測れないものだった。小さな金具がついていて、鍵につけたり、ネックレスのチェーンに通したりできるようになっている。僕はしばらく悩んだ末に、普段使っているキーケースの内側に、そっと忍ばせることにした。
なぜこんなに嬉しかったのか
自分でも、どうしてこれほどまでに心が動かされたのか、しばらく考えていた。単にモノをもらったことが嬉しいのではない。そこには、もっと根本的な理由があるように思う。
一つは、「対価としての時間」の中に、対価を超えた気持ちが存在していたということだ。お金を払ってサービスを受ける、というシンプルな構造の中でも、人と人との関わりである以上、そこには感情のやりとりが生まれうる。彼女が僕に対して抱いた「話していて楽しい」という感覚は、決して仕事上の建前だけでは生まれないものだと思う。そういう、契約や役割を超えた瞬間に触れられたことが、僕にとってはとても新鮮で、そして嬉しいことだった。
もう一つは、彼女自身の「見送り方」の哲学のようなものに触れられた気がしたからだ。誰にでも渡すわけではない、という言葉が印象的だった。つまり彼女なりの基準があり、その基準を僕がクリアできたということでもある。人から選ばれる、認められるという感覚は、どんな形であれ、人の心を温かくするものなのだと、あらためて実感した。
そしてもう一つ、これは少し個人的な話になるけれど、僕は普段、誰かに何かを与えられるという経験自体があまり多くない生活をしている。仕事は基本的にギブアンドテイクだし、友人関係も、どこかで見返りを意識してしまうことがある。そんな中で、純粋に「あなたのために」という気持ちで何かを差し出してもらえたという経験は、思っていた以上に自分の心を潤してくれた。
お守りを持つ、ということ
それ以来、そのメダイユはずっと僕のキーケースの中にある。毎日持ち歩いているわけだから、正直なところ、意識することはそれほど多くない。けれど、ふとした瞬間――たとえば財布を探していてキーケースが目に入ったときや、大事な用事の前に鍵を握りしめたときなど――に、あのときの会話や、彼女の笑顔がふと蘇ることがある。
お守りというのは、そもそもそういうものなのかもしれない。強力な効果があるかどうかは分からないけれど、それを見るたびに、誰かに大切に思われた記憶を思い出させてくれる。その記憶自体が、実は一番の「効果」なのではないかと思う。落ち込んだときや、自信を失いかけたときに、「そういえば、あの人は僕のことを楽しい人だと思ってくれたんだった」と思い出すだけで、少しだけ背筋が伸びる気がするのだ。
人によっては、こういう場での出会いに対して、どこか冷めた見方をする人もいるかもしれない。所詮はお金を介した関係だ、と。もちろん、その側面があることは否定しない。けれど、どんな関係性の中にも、人としての温かさが宿る瞬間は確かに存在する。むしろ、利害関係がはっきりしているからこそ、その中でふと現れる「純粋な気持ち」の輝きが際立つのかもしれない、とすら思う。
彼女への感謝
あの日以来、彼女に会う機会はまだない。もしかしたら、これから先も会うことはないかもしれない。それでも、あの日の出来事は、僕の中でずっと大切な記憶として残り続けるだろう。
彼女がどんな気持ちで日々仕事をしているのか、僕には本当のところは分からない。楽しいことばかりではないだろうし、大変なことや、割り切らなければならないことも、きっとたくさんあるはずだ。それでも、限られた時間の中で、僕に対して精一杯の温かさを向けてくれたこと、そしてその証として小さなメダイユを渡してくれたことに、心から感謝している。
もし彼女がこの文章をどこかで読むことがあったら――そんなことはまずないだろうけれど――伝えたいことがある。「あのメダイユ、今も大切に持っています。ありがとうございました」と。
おわりに
人生の中には、思いがけない瞬間に、思いがけない優しさに出会うことがある。それは大きな出来事ではないかもしれないし、他人から見れば些細なことに映るかもしれない。けれど、その瞬間に確かに感じた温かさは、時間が経っても色褪せることなく、心の奥にそっとしまわれていく。
小さなメダイユひとつが、僕にとってはそんな「宝物」になった。これからも、あのときの気持ちを忘れずに、日々を大切に過ごしていきたいと思う。そして、いつか自分も誰かに、見返りを求めない優しさを差し出せるような人間でありたい、と静かに願っている。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。誰かの心にも、こんな小さな温かい出来事が、ふと訪れますように。
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